宝永4年(1707)大畑才蔵が小田井用水を開削したとき、この一帯は固い岩盤のため最大の難工事であった。そのおかげで、伊都・那賀両郡およそ1000町歩の水田を潤し、穀倉に生まれかわった。昭和40年(1965)背ノ山隨道が完成し用水路の変更にあたり、その遺徳をしのび、ここに立てたものである。
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