高野参詣道町石道
高野参詣道町石道こうやさんけいみちちょういしみち
慈尊院から高野山へと通じる180町(1町は109m)の表参道で、高野山開山のおり弘法大師空海が木製の卒塔婆を立てて道しるべとしました。鎌倉時代には、覚きょう上人の発願により二十年尾歳月をかけ、朽ちた木製卒塔婆の代わりに石造の五輪塔形の町石が一町ごとに建てられました。仏教では「宇宙を形成する物質は、空・風・火・水・地」の五つの要素を宝珠、半月、笠、円、方形にかたどったものが五輪塔で、梵字(サンスクリット文字)で空風火水地を意味する言葉が刻まれており、町石道を登り高野山へ行った人々はかつて町石ごとに足を止め祈りを捧げたといいます。
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慈尊院じそんいん
弘法大師空海が母公の没後伽藍を建て弥勒菩薩を安置したため女人高野ともよばれ、女性の参拝客も多い。乳房型の絵馬が有名です。
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丹生官省符神社にうかんしょうぶじんじゃ
弘法大師空海が創建した神社で、丹生都比売大神と、高野御子大神を祀ったのがはじまり。町石道の登山口に鎮座し、神社からは高野山を遥拝できます。
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接待場せったいば
弘法大師空海の石像があり、この石像を拝むと遠く高野山奥の院の御廟を望むと言われています。毎年御影供に、村の有志(かつらぎ町教良寺区)の人たちが高野詣の人々に握り飯や湯茶の接待をしたことから、「接待場」と言い伝えられています。大正14年に南海高野線が高野下まで開通し、椎出・極楽橋間には高野登山自動車道が運行されたことに伴い、町石道を歩いて高野詣をする参拝者が激減しお接待も行われなくなりました。
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二ツ鳥居ふたつとりい
弘法大師空海が建立し、江戸時代初期に現在の石造りに。昔から高野山への参拝者はここから丹生都比売神社に参拝しました。高野参詣道町石道語り部の会