高野山の奥の院に千年近くの間、光輝いている「貧女の一燈」と言われる燈籠があります。お照という少女が、自分の髪を売った金で養父母の菩提を弔うために献じた一燈です。お照はその後、ここに庵を結び養父母の菩提を弔いつつ生涯を終えたと伝えられています。天和二年(1682年)妙春尼により供養塔が建てられ、貞亨五年(1688年)天野の郷供僧(さとぐそう)、淨意が女人の苦しみを救うために、代受苦の行を十年間勤め、ここに碑が建てられました。
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