平家打倒を企てた俊寛僧都の召使、有王は鹿ケ谷の陰謀に破れて鬼界ケ島に流され、さみしく世を去った俊寛の遺骨を治承三年(1179年)五月、高野山に納め法師となって主の菩提を弔い、天野に住み生涯を終えたといわれます。俊寛の娘もまた、十二歳で天野の別所で尼となったと「源平盛衰記」に記されています。
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